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Le silence des églises (TV) 教会の沈黙

フランス映画 (2013)

フロリアン・ヴィジラント(Florian Vigilante)が、校長兼少年合唱団の指揮者ヴァンセ神父から性的虐待を受ける12歳の孤独な少年を演じる問題作。2018年に入り、8月にアメリカのペンシルヴェニア州で(加害者300人以上、被害者1000人以上)、9月にドイツで(加害者1670人、被害者3677人)カトリック教会の不祥事が発覚し、またかと世間を呆れさせた。この映画は、2013年4月10日にフランス2で放映されたTV映画だが、カトリック教会ではなぜこのようなことが起きるのかを、「聖職者の論理」を交えて鋭く、しかし、陰惨な画像は一切使わずに表現した見事な作品だ。

映画は、事件から15年後、20代の後半になったガブリエルが当時を振り返りながら、神父の告発に踏み切っていく様を描いている。過去と現在の融合は見事で、耐えられなかった過去の思い出と、現在の怒りに満ちた対応が、一対一で組み合わされることで、非常に分かりやすい構成となっている。この少年虐待の実態は、神父による強制から、ガブリエルも許諾した「合意交際」に変化していくところが出色。ガブリエルは、初期の汚辱だけでなく、自らの意思で虐待を許容し、ある意味では楽しむようになってからも、常に悩み苦しむ。それが、成人してからも彼の精神を不安定化し、結婚生活もうまくいかない。それが限界に達した時、ガブリエルは意を決して過去と向き合う。ガブリエルは、かつて通った学校を訪れるが、つらい記憶が鮮明に蘇る。ガブリエルは、自己の犯した過ちも正視し、神父を初めとする当時の関係者と会い、自分の思いをぶつける。そうしている中で、神父の背後に隠れていたペイラック司教の存在が明らかになる。この人物さえいなければ、性犯罪の前歴のある神父が、中学校の校長に任命されることなどなかった。そして、それを実現したのは、カトリックの聖職者ならではの身内を守ろうとする独善的な論理だった。これを知り、ガブリエルは神父と司教の告発に踏み切る。DVDは発売されていないため、使用した画像の隅には、放映時の記号が入っている。翻訳に当たっては、フランス語字幕を用いた〔台詞と字幕がかなり違っている場合には、英語字幕を参照した〕

フロリアン・ヴィジラントは1999年3月17日生まれ。映画のTV放映は2013年4月10日なので、撮影時は13歳だったと思われる。おどおどした表情が、諦めから自己肯定に変わっていくところが怖い。過去の記憶の断片としての登場でなく、現在進行形での登場だったら、もっと多彩な表現が見られたかもしれない。ただし、本人にそれほどの演技力があるかどうかは分からないが。この映画が唯一の主役級。


あらすじ

20台後半のガブリエルが、6歳の息子と一緒に小さなヨットでセーリングを楽しんでいる。そして、車に戻り、途中で少し寄り道して母の家を訪ねることにする。運転中、ラジオを聴いていると、ヴァンセ神父の名前が出され、聖パンクラス中学校の少年合唱団の新しいCD『天使の声』が話題となる。これは、ガブリエルにとって「禁句」とも言える話題だった。歌声が聞こえてくるとガブリエルは放心状態となり、ハンドルを握っていても目は何も見ていない(1枚目の写真)。いつしか前方に現れる大型のトラック。道は2台がすれ違えない狭さ。後部座席でゲームをしていた息子が気付いて叫び声を上げた時には、ぶつかる寸前だった(2枚目の写真)。とっさにハンドルを切って道から脇の野原に飛び出て停まる。ガブリエルにケガはなかったが、息子は首サポーターをしているので、鞭打ち症になったのかもしれない。急いで病院に駆けつけた妻は、夫に対し怒りをぶつける。「何を考えてるの?」と責められ、「飲んじゃいない」と答えるので、飲酒癖があったのであろう〔辛い過去を忘れるため〕。ガブリエルはうまく動かないコーヒーの自販機に怒りをぶつけ始め(3枚目の写真、矢印は息子)、妻は息子を連れて立ち去る。状況から、2人は離婚か別居中で、今日はガブリエルが息子と過す日だったのかもしれない。
  
  
  

ガブリエルは、息子と一緒に行けなくなった母の家を訪ねる。母は、心臓病を患い あまり元気がないが、息子のことは大事に思っていて、ラジオで紹介していた合唱団のCDを息子のために買って来てあった(1枚目の写真、矢印はCD)。ガブリエルが母に会いに来たのは、先ほどの事故に鑑み、過去を精算しに行こうと決断したからだった。ガブリエルは失業中で、「仕事が見つかったから、2・3日出かけてくる」とだけ言い残し、母の元を去る。ガブリエルは、途中で拳銃と実弾を購入し、自分が少年時代を過した町に降り立つ(2枚目の写真)〔撮影は、ブリュッセルの南南西50キロにあるバンシュ(Binche)の町の中心部〕。プチ・ホテルで「一週間程度」と言って部屋を借りると、徒歩で聖パンクラス中学に向かう(3枚目の写真)〔撮影は、ブリュッセルの南西30キロにあるアンギャン(Enghien)の町の聖オーギュスタン中学校〕
  
  
  

ガブリエルが、勝手知ったる玄関を開けて中に入ろうとすると、背後で、「ガブリエル、来なさい」という声が聞こえる。それは、15年前の自分と母の姿だった(1枚目の写真、矢印は12歳のガブリエル)。このシーンは、1つの画面の中に、現在のガブリエルと15年前のガブリエルが一緒に映っているが、これには「過去への橋渡し」の意味が込められている。そして、大人のガブリエルは姿を消し、「15年前」とのキャプションが入る。15年前(1977年)の画像は、左側に山吹色の帯をつけて区別する(現在の映像はの帯)。母は、「ほら、急いで、遅刻しちゃうわよ」と息子を急かす。「いいこと、今度は絶対失敗しないようにね」との注意も忘れない。母子は、校長のヴァンセ神父と面会するが、そのシーンになって最初に発せられた言葉は、「残念ですが、お子さんはかなり遅れているようですね」〔学業についていけない〕。「不幸な境遇でしたから。根は賢いのですが、自信をなくしてしまって」。「この学校のレベルはとても高いのです。それに盗みをしましたね」。「ひどく後悔しています。そうよね、ガブリエル」。「はい」〔彼は寡黙〕。神父は、「自転車が欲しかったのかね?」と尋ねる。「父さんが買ってくれるって約束を」。すかさず母が、「夫は、出て行ってしまいました。それで、この子は動転したんです」と説明。しかし、神父は入学を認めない。母は、最後の切り札を出す。「あなたは合唱団をお持ちでしょ? この子は歌うのが大好きなんです。コンクールで優勝しました」。この言葉は神父を動かす。「君は、本当に歌うのが好きなのかね?」。「ほんのちょっと〔Un ti peu〕」。「この子、謙遜してるんです。神父様に歌ってみせなさい」。「歌いたくない。どっちみち何も変わらないよ。入れる気なんかないんだ」。「歌うのよ」。ガブリエルは、嫌々歌い始めるが(2枚目の写真)、その素晴らしいソプラノに、神父は聞き惚れる(3枚目の写真)。「その声は、神様からの授かり物だね、ガブリエル」。
  
  
  

その時、ノックがして、1人の少年が入って来る。ドアの外で、ガブリエルの歌と神父の言葉を聞いていたことは間違いない。少年は、書類を届けに来たのだが、神父は、「ありがとう、ドゥニ」と言った後で、「いい時に来たな。この子はガブリエルだ」(1枚目の写真)「素晴らしい声〔voix magnifique〕の持ち主だ。君と同じクラスに入る」(2枚目の写真)「学校を案内してあげなさい」と命じる。廊下に出て行くと、ドゥニの態度が変わる。「『素晴らしい声』でいい気になるなよ」(3枚目の写真)と対抗意識を燃やす。ドゥニは、これまで少年合唱団のソリストとして君臨してきた。そこに好敵手は現れたので、危機感を抱いたのだ。
  
  
  

画面は、現在に戻り、ガブリエルが、帰宅しようとする校長と玄関ですれ違う(1枚目の写真)〔ガブリエルは少年から大人になったが、神父は中年から老人になっただけ〕。ガブリエルは神父の後をつける(2枚目の写真)。途中で、ガブリエルは不良っぽいハイ・ティーンに背中からぶつかられるが、ガブリエルが怒鳴りつけると仲間もろとも一目散に逃げていく(3枚目の写真、矢印)。ここで画面は15年前に切り替わる…
  
  
  

学校の廊下でガブリエルに走り寄る3人の生徒。ガブリエルが「ケンカはイヤだ〔Je veux pas me battre〕」と牽制すると、誰かが「イヤだとよ」とからかい、ドゥニが「こいつ、女の子みたいだろ?」と2人に言う。そして、背中に回って両手をつかむと、「意気地なしだ」と付け加える(2枚目の写真)。「放せ」。ガブリエルは両手をつかまれたまま、腹部を殴られる。ドゥニは、ガブリエルを床から引き起こすと、廊下の壁に押しつけ、「お前のたくらみなんかお見通しだ」と迫る。「『たくらみ』って?」。「間抜けなフリしやがって。好き勝手にはさせないぞ〔Tu vas en baver〕!」。そこに神父の声が響く。「ドゥニ! 新入生に何てことするんだ。大丈夫か、ガブリエル?」。ガブリエルは、「何で殴られた?」と訊かれても答えない。「ふざけてただけです」という誰かの返事は、ガブリエルの血の出た手首を見れば嘘だとすぐにバレる。神父は叱るよりも、ガブリエルの治療を優先する。そして、保健室に連れて行き、傷口を消毒し、「心配するな、すぐに溶け込める。君を傷つけるようなことは私が許さん」と話しかける。ガブリエルも、頼りにできる人だと思って神父を見ている(3枚目の写真)。神父はさらに、自分の父もいなくなった。それは自分がバカなことを一杯したからで、「『父が出て行ったのは、私がダメな人間だからだ』と思った時、神に出会った」と、打ち明ける。それを聞いているガブリエルが笑顔になるので、神父に親しみを感じたのであろう。
  
  
  

ガブリエルがクラスに戻ろうとすると、神父が呼び止め、「合唱団には、入るつもりなんだね?」と期待して訊く。「分かりません」。「金曜に練習がある。是非とも来て欲しい」。ガブリエルは嬉しそうな顔をしない。「あまり嬉しくなさそうだな?」。「母さんが…」。「どうしたんだ? 君が合唱団で歌うのを望んでおられたと思うが」。「仕事なんです。午後働かなくてならないから、僕が弟の世話をしないと」(1枚目の写真)。「そうなのか? 何とかしてみよう。いいね?」。神父は、さっそく行動に出る。そして、知り合いの一人住まいの未亡人の家の住み込みの家政婦としてガブリエルの母を雇ってもらい、そこに、ガブリエルと弟も一緒に住まわせる。自分の部屋を見てきたガブリエルに、神父は、「家は気に入ったかい?」と尋ねる(2枚目の写真)。ガブリエルは、母に向かって「最高! 僕、初めて自分の部屋が持てた!」と喜びを露にする(3枚目の写真)〔ガブリエルに個室を与えることは、神父にとって必須の条件〕。母が、夫人の手前、大きな声を出さないよう諌めると、夫人は「この家に欠けていたのは、子供たちの声なのよ」と言って、「子連れ」の家政婦を歓迎する〔単純に良い人〕。子供たちが庭に遊びに出て行った後で、母は、「神父様、あんなに幸せそうな子供たちを見るのは本当に久し振りです。お礼の言葉もありません」と心のうちを述べる。神父は、「なぜお礼を言うのですか? あなたは仕事口を見つけ、私は合唱団にガブリエルをもらったのです」と殊勝な言葉で返す〔ガブリエルに対する3年間にわたる性的虐待と引き換えというのは、あまりに酷い〕
  
  
  

金曜日。合唱団が練習していると、ガブリエルが入ってくる。神父は、練習を中断し、「参加してくれてありがとう、ガブリエル」と言って楽譜を渡すと、「あそこに立って。譜を読めなければ、他の子に合わせて」と指示し、中断したところから始める。ドゥニはソリストなので、1人だけ他の生徒と離れ、神父の隣に立っている。そのソロ・パート。ドゥニは、セザール・フランクの「天使の糧」(ホ短調)を歌い始める。“Panis angelicus”(「シ」→「ソ」と3度下がる)、“fit panis hominum”(同前、ただし、下手で音程が狂う)、そして、次の“Dat”では「シ」より4度高い「ミ」から始まる。この「ミ」の音がドゥニには出せない(1枚目の写真)。ガブリエルは、何事が起こったのだろうと、不安そうな顔をしている(2枚目の写真)。2度くり返して出ないと、神父は、「今日は、やめよう」と練習を中断し、ドゥニだけを残す。不安になったガブリエルは、こっそり部屋に残って立ち聞きする。神父:「どうなってる? 問題事でも?」。「いいえ」。「言いたい事があるのか?」。「いいえ」。「まるで 別人のようだ〔Ç'est comme si tu n'étais plus le même〕。成績も潰滅的だ。練習もしとらんし」(3枚目の写真)。「練習はやってます」。「それなら声の問題だろう。声変わりだ」。「僕は用済み〔Tu veux me remplacer〕… なんでしょ〔C’est ça〕?」。
  
  
  

映画は現在に戻り、ガブリエルによる神父の追跡を映す(1枚目の写真)〔撮影は、バンシュの町の中心広場グラン・プラス〕。神父は、ここで、自分が誰かに後をつけられていることに気付く。自分がどう歩いても、必ずついて来るので、追われているのは確実だ。神父の足が速くなる。そして、広場から路地に入ると、思い切って振り返り、「何の用だ? 何か探してるのか? わしは金など持っとらんぞ」と言う。最後には「望みは何だ!?」と叫ぶ。ガブリエルは拳銃を取り出す。それを見た神父は、殺されると思い、走って逃げる(2枚目の写真、矢印は拳銃)。ガブリエルは、それ以上追跡はしない。ホテルに戻ったガブリエルは、その後に起こった悲劇的な事故のことを考える。その時、ガブリエルが酒をガブ飲みするので、冒頭で妻に言った「飲んじゃいない」という言葉は、ガブリエルの悪癖だったことが確認できる。
  
  

そして、ガブリエルに衝撃を与えた事故。彼は、声のつぶれたドゥニと話し合おうと後をつける。それに気付いたドゥニは、「何なんだ? 何で、犬みたいに後をつける?」と文句をつける。「つけてなんかいない」。「俺をバカにするんじゃない。お前の母さんが下女をやってる家は、町の反対側だ」(1枚目の写真)〔ずい分、嫌味な言い方だ。ドゥニは、神父がガブリエルのために尽力したこともちゃんと知っていて、それを妬んでもいる〕。ガブリエルには、自分がなぜこんなに嫌われているのか分からない。「僕、君に何かした〔Qu'est-ce que je t'ai fait〕?」と訊く。「何てトロい奴だ」。「待ってよ」。「俺に構うな」。そう言うと、ドゥニは歩道ではなく車道の端を歩み去って行く。ガブリエルは、仕方なく、やはり車道の端を逆方向に歩いて行く(2枚目の写真、黄色の矢印はドゥニ、赤の矢印はドゥニが飛び込む車)。ガブリエルが角を曲がると、急ブレーキの音がする。近くにいた人々が一斉に走っていく。ガブリエルが何事かと道路に戻ると、車の前にドゥニが倒れている。ガブリエルは走って見に行く。車から出てきた運転手は、「俺の前にいきなり飛び出て来た。避けることなんてできなかった」と悲壮な表情で人々に話しかける。ガブリエルは、「僕、彼の級友です。ケガは、ひどいの?」と、回りの人に訊くが、誰も答えようとしない。死んでいることは明らかだ。ガブリエルは、その場から連れていかれる。ドゥニがなぜ自殺したのか? 恐らく、①好敵手ガブリエルの出現による不安感の増大、②声変わりによる絶望感の2つが相まったものであろう。
  
  
  

この記憶を受けて、ガブリエルはドゥニの両親に会いにいく。「僕は、ガブリエル。昔、息子さんと一緒のクラスでした。少しお話しできますか?」。母親:「何を話されたいのですか?」。「デリケートな話です。息子さんは事故死ではありませんでした」。母親は、「事故じゃないってどういうこと? あの子が故意にぶつかったとでも?」と強く反撥する。「彼は、誰かに飛び込まされたのです」(1枚目の写真)。「どういうこと?」〔確かに、よく分からない言い方だ〕。「ドゥニは、ヴァンセ神父のこと、話しましたか?」。「よく話したわ。尊敬してたから。それがどうかしたの?」。「悲劇の前、引き篭もり気味でしたよね。怒りっぽくて」。「そうね」。「ヴァンセ神父は、彼の死に責任があります」〔確かに、女性教師から様子が変だと注意喚起された時、真剣に対応せずに放置したのは、校長として職務怠慢だったが、「責任」とまで断言するのは、ガブリエルの「被害者意識」が生み出した発想〕。信仰を第一義に考える母親は、この言葉を聞き、ガブリエルに出て行くよう求める。ガブリエルは、さらに、「ヴァンセ神父は、複数の生徒に性的虐待を加えていました。ドゥニと僕は犠牲者です」と断言する〔これは、ガブリエルの勘違い。神父とドゥニの間にはそんな関係はなかった〕。母親は、既に聞く耳を持たない。ガブリエルが家を出て行くと、母親ほど教会に盲目的ではない父親が後を追って出てくる。そして、①事故の数日前に何かを話そうとした。それは、ヴァンセ神父に関する何かだった。②ドゥニは変わり、いつも嘘をつくようになり、別人のようになった。そして、「警察に話すべきだった」と泣いて悔やむ(2枚目の写真)〔この部分も、栄光の座を失いかけたドゥニの、神父に対する不信感と不満が、引き起こしたと見るべきだろう〕
  
  

ガブリエルは、翌朝、再び学校を訪れ、今も校長を務めているヴァンセ神父に会おうとするが、まだ出勤していない。待っている間に、ガブリエルは2階に上がり、かつての教室の入口までくる。中には誰もいないが、彼は、かつて自分がしたように、ドアから数メートル離れた消火ホース格納箱の後ろに隠れる(1枚目の写真)。ここで画面が過去に戻り、12歳のガブリエルが教室の前まで来る。しかし、中からは担任だった女の先生と、神父の話し声が聞こえる。ガブリエルは姿が見えないよう消火ホース格納箱の後ろに隠れる(2枚目の写真)。校長:「あなたが如何に心を痛めておられるか、よく分かります、シマール先生。我々も、今回起きたことを深く悲しんでいます」。シマールは、ドゥニが最後に描いた絵を見せる。「見て下さい、13歳の子供が描いたんですよ。想像できます?」。そこには、赤い目の少年が手にナイフを持ち、自分の口をめった切りにする不気味な絵が描かれている。それを手にした神父は、「だからと言って、彼が故意に車の前に飛び出したと断定する根拠にはなりませんな」と冷たい(3枚目の写真、矢印は絵)。シマール:「『打ち明けてくれたら、助けてあげよう』と言ったのですが」。「何か答えたかね?」。「いいえ。でも、もっと強く言うべきでした」。結局、校長は、「臭いものには蓋」で、「あれは事故だったんだ」と幕引きを宣言する。このシーンを見たことが、その後のガブリエルに「ヴァンセ神父は、彼の死に責任があります」と言わしめることになる〔自殺の予兆は絵に現れていた。しかし、それを事前に神父が見せられていて、それでも神父何も予防措置を取らなかったなら、「適切な対応をしなかった」と神父を責めることはできる。しかし、死後見せられ、事を大きくするのを阻んだだけでは、「死に責任」とは言えない〕
  
  
  

その後、神父は合唱団の団員と一緒に、ドゥニの写真の前で祈る(1枚目の写真)。すると、画面は現在に切り替わり、玄関で待っていたガブリエルは、神父がやって来るのが見える(2枚目の写真)。ガブリエルの服装は昨夜と同じだが、神父はそれが昨夜追いかけてきた不気味な男だとは気付かないで、前を通り過ぎる。ガブリエルは、「アンドレ」と声をかける。長年校長をやってきた人物が、見知らぬ男からファースト・ネームで呼ばれたので、驚いて振り返る。「以前 お会いしたことが?」。「生徒でした。1997年です」。「済みませんね。ここには多くの生徒がいたもので」と立ち去ろうとする。「ガブリエル」。この魔法の言葉で、神父は歩みを止め振り返る。「ガブリエルなのか? まさか〔Ça alors〕!」。ガブリエルは仕事でこの地方に来たので、挨拶に来たと嘘をつく。それを聞いた神父は喜ぶ。少し話した後、部屋に寄るように勧めるが、今は時間がないと言うと、夕食に家に寄るよう招待する(3枚目の写真)〔教区民が持ってきれくれたオッソ・ブーコを一緒に食べよう、と提案する〕
  
  
  

そして、生涯で一番重要な日の記憶へと進む。あの日、ガブリエルは、母が家政婦を務めている家のピアノの前で、神父の演奏に従って歌の練習をしていた。歌うのは、前回ドゥニが詰まった「天使の糧」。ガブリエルは難なく歌っていく(1枚目の写真)。途中で感極まった神父は、「そう、それなんだ。完璧だ。君は無理をせず声を出している。私は感銘を受けた。君が歌うのを聞いていると背筋がゾクゾクする」と絶賛。ここまではいいのだが、その後、ついに本音が出る。「重要なことを訊いてもいいかね?」。「はい」。「私の友になってくれるか〔Est-ce que tu accepterais de devenir mon ami?〕?」。驚くような提案に、ガブリエルは、思わず、「あなたの友?」と聞き返す(2枚目の写真)。「これは、とても強い結びつきだ。分かるかい? 初めて君を見た時から、私たちの間には心からの友情が芽生えるのではないかと感じていた」。話は、さらに異様な方向へと進む。「だが、私たちは、周りの世界から身を守らないといけない。だから、お互いに話したり、したりすることは秘密にしよう。いいかね、君と私の間の結びつきが如何に強いかは、神様だけがご存知なのだ。分かるかい?」。「はい」。「君のお母さんも知ってはならない。いいね?」。「分かりました」。「よろしい」。神父は立ち上がると、サイドボードに置いてあった聖書を取ってくると、「聖書に手を置いて、秘密を漏らさないと誓いなさい〔Pose ta main sur la Bible, et jure que jamais tu ne trahiras notre secret〕」と強制する。ガブリエルは「誓います」と言わざるを得ない〔カトリックの神父でなぜこうも性的虐待が横行しているのか。最大の理由は、牧師と違って妻帯が許されていないからだが、こうした聖書を逆手に取った強制が行われているのも事実なのだろう。実に厭わしい〕。神父は、聖書に置かれたガブリエルの手の上に自分の手を重ねる(3枚目の写真)。そして、「私の腕に入り、強く抱かれなさい」と言い、ガブリエルを抱きしめる(4枚目の写真)。この時点でのガブリエルは、自分にこれまで親切だった神父と、心のつながりまで持てて幸せだと思ったのかもしれない。しかし、この直後、母がドアを開けて入って来た時の神父の態度の豹変振り(何事もなかったように取り繕う様子)を見たガブリエルは、「友情」と「秘密」に不安を抱いたに違いない。
  
  
  
  

合唱団の練習の日、ドゥニの後釜のソリストの場所には ガブリエルが立っている。新しいソリストを迎え、合唱のレベルは向上し、神父の顔は喜びに輝いている(1枚目の写真)。神父は、「とてもいい。今日はこれで解散だ」と、途中で練習を打ち切る。そして、「忘れるなよ。コンサートまであと数週間だ」と、演奏会の近いことを強調する。そして、出て行こうとするジュリアンを呼び止め、「この前も言ったように、君の声は大き過ぎる」と注意する。そして、「行きなさい」。2人とも部屋を出ようとしたので、神父は「ガブリエル」と声をかける。その時、なぜジュリアンも振り向いたのかは不明だが、2枚目の写真は、15年後に弁護士として登場するジュリアンのガブリエルとの唯一のツーショットなので、敢えて紹介する。ガブリエルだけになると、神父は「おいで」と声をかけ、肩に手を置いて神父の個室へと誘う(3枚目の写真)。神父は、ガブリエルを中に入れると、自分も入り中から鍵をかける。そこで何が行われたのかは分からない〔この映画では、直接的な描写は一切避けている〕
  
  
  

次のシーンでは、夜、家に戻ったガブリエルが浴室に閉じこもっている。母がノックしてドアを開けさせると、「洗ってるんだよ、ママ」と答える(1枚目の写真)。「まだ? もう45分も洗ってるじゃない。それに、浴室に鍵を掛けちゃダメよ」。「分かったよ」。しかし、ドアを閉めると、ガブリエルはまた鍵をかける。ガブリエルにとって、神父にされたことは、たまらなく嫌なことだった。そして、神父の「跡」を消すために45分も体をこすって洗い流そうとしなければならないようなことだった。次のシーンは、教室でお絵描きの時間中、ガブリエルは何もせず、肩肘をつくと、あらぬ方を見つめている(2枚目の写真)。女教師のシマールが、何度も「ガブリエル」と呼びかけ、ようやく前を向く。「はい、先生」。「やっと現実の世界に戻ったわね。何も描いてないじゃないの」。「ごめんなさい」。時間が来たので、他の生徒は部屋から出て行かせる。そして、2人だけになると、「元気がないわね。悩みごとでもあるの?」と訊く。「いいえ、何でもありません」。「困った事があるなら、話してね」。「はい」。しかし、ガブリエルは何も言わない(3枚目の写真)。
  
  
  

夜、母がお休みを言いに来ると、ガブリエルの元気がない。「大丈夫? ママを怒ってる? 何か悪いこと言ったか、したのかしら?」。「疲れてるんだ」。母が食卓に戻ると、そこには夕食に招かれた神父がいた。「順調ですか?」。「あの子、イライラしてるみたいで… 何もかも、こんなに順調ですのに… ここ何週間、元気がないんです」(1枚目の写真)。「ガブリエルは、何か言いましたか?」。「いいえ」。「よろしければ、私がもっと彼の面倒を見ましょう。週末は、来させて下さい。私を信頼してますから」〔週末は、夜、ベッドを共にするつもり〕。神父は、さらに、「よろしければ、今、部屋に行って様子を見て来ましょう」と言い出す。母は100%信頼しているので、ひたすら感謝するばかり。ガブリエルの部屋に入っていった神父は、「ガブリエル」と声をかける。返事はしないが、ガブリエルは目覚めている(2枚目の写真)。神父は、そのままベッドを回り込み、ガブリエルが目覚めていることに気付く。そこで、ベッドに腰を降ろし、「先日、私たちの間で起きたことは、とても美しかった。だが、二度と望まないのなら、そう言いなさい。何も起きなかったことにしよう」と静かに語りかける。ガブリエルは何も言わない。神父はがっかりして立ち上がると、ドアを少し開け、「私と一緒にいたいなら、振り返りなさい」と声をかける。「お願いだ」。反応はない。神父があきらめて出て行こうとすると、背後で物音がする。神父が振り返ると、ガブリエルはベッドの上で半身を起こし、神父をじっと見ていた(3枚目の写真)。「出て行って欲しいのか〔Tu veux que je parte〕?」。ガブリエルは首を横に振ると、ベッドに横になる。それを見た神父は、一旦開けたドアを閉める〔母親が同じ建物の中にいるのに、神父はガブリエルに手を出した~ガブリエルが後でする証言から〕。このシーンは非常に重要だ。神父は「二度と望まないのなら、そう言いなさい」「私と一緒にいたいなら、振り返りなさい」と言った。だから、最初は「誘導され強制された」性行為だったが、これ以後は、「同意の上での」性行為になる。それでも、「少年に対する性的虐待」という罪は変わらないが、「強制」か「受容」かでは、その後のガブリエルの心境には大きな違いがある。後で、大人になったガブリエルが、神父に、「何が、僕を苦しめてるか分かるか? あんたと『ぐる』じゃなかったかって思うんだ〔J'ai l'impression d'avoir été ton complice、直訳すれば共犯者〕」と詰め寄るシーンがある。ガブリアルが、弁護士になったジュリアンと会った時には、「僕は楽しんだ。そんな自分が厭わしかった」と打ち明ける。彼の複雑な心境が良く分かる。この夜、ベッドでガブリエルが下した決断が、生涯自らを苦しめる『くびき』となった。極論すれば、この時同意していなければ、3年にも及ぶ神父との『同棲関係』もなかったろうし、そのために老齢の神父が告発され、15年の禁固刑を受けることもなかった。ガブリエルのこの決断には、「断ったら、母と弟との幸せな暮らしは消滅する」という思いがあったのかもしれない。それでも、ガブリエルは、「僕が悪いんだ。母さんに話すべきだった」と自分を責める。
  
  
  

現在に戻り、ガブリエルは神父の家を訪れる。神父は、ガブリエルの母の病気のことを聞いて心配し、「よければ会いに行こうか?」とまで言うが、ガブリエルは憮然としている。「今は、何をしてるんだね?」。「大したことは何も。自殺しかけたことはあったけど」。ちょうど料理の温めで、熱いものに触って悲鳴を上げた神父に、このことが耳に入ったかどうかは分からない。食事の用意ができても、ガブリエルはテーブルにも座らない。「ドゥニの墓に行ってきた。覚えてる?」。「もちろんだ。悲劇だった」。「僕の考えを言おう。彼は、車の前に身を投げたんだ。僕には出来なかったことを、やったんだ。シマール先生もそう思ってた。なぜクビになった? いい先生だったのに」。「知らない。ずい分前の話だ」。「僕には、昨日のことのようだ。忘れたいけど、ここから離れない」(1枚目の写真)。さらに、「何もかも覚えてる。どんな細かなことも、あんたの臭いも。千年洗い続けても、この臭いは消えない」。「それを言いに来たのか?」。「いいや」。話は、車の中で聞いた合唱団のことから、自分の息子へと移る。そして、「あの子を抱き上げると罪の意識にとらわれる。異常だろ? 息子を穢(けが)すんじゃないかと、怖いんだ。僕には悪の種がある。中が腐ってる」。ガブリエルは、さらに続ける。ここで口にするのが、前章で取り上げた台詞。「何が、僕を苦しめてるか分かるか? あんたと『ぐる』じゃなかったかって思うんだ」(2枚目の写真)。
  
  

シマール先生に何が起きたのか? それを紐解くパート。手に怪我をしたシマールが保健室に行くと、何とそこには神父がいた〔理由は後で分かる〕。神父は、ガブリエルの時のように傷口を消毒しながら、「何か心配事ですか、シマール先生?」と訊く。「一人の生徒のことが、とても心配で… ガブリエルなんです」。「ガブリエル? 彼が、何か?」(1枚目の写真)。「他の先生方も、みなそう思われています。この数週間で彼は変わりました。いつも上の空で、いらいらしています」。「土曜のコンサートのせいじゃないかな? プレッシャーで頭がいっぱいなんだろう」。「そうですね」。シマールが出て行くと、神父はすぐに鍵をかける。そして、奥の扉を開けると、そこにはガブリエルが隠れていた(シャツ姿)。ドアに鍵をかけて性行為に及んでいた時、邪魔が入ったので急きょガブリエルを奥に隠したのだ。神父は、「神の前で誓ったことを忘れるなよ」と半ば脅迫する(2枚目の写真)。「僕、何も言ってない」。保健室の中に置いてあった上着を手に取ったガブリエルに、神父は追い撃ちをかける。「忘れるんじゃないぞ。イエスは、裏切られたから、磔にされて死んだんだ」(3枚目の写真)。「僕は裏切らない」。そう言い残すと、ガブリエルは自ら鍵を開けて出て行った。
  
  
  

その夜、ガブリエルは悪夢を見て、目が覚める。心を落ち着かせようと、1階に降りてキッチンに行き、蛇口からコップに水を少し入れ、飲みかける。その時、物音に気付いた母が照明をつける(1枚目の写真)。ガブリエルはびっくりしてコップを床に落としてしまう。ガラスは粉々に割れる。母:「ごめんなさい。脅かしちゃった?」。「悪い夢を見たんだ」(2枚目の写真)。「最近、よく見るのね」。母は、片付けようとするガブリエルをやめさせ、部屋に行かせる。しかし、彼は、母の目を盗んで破片を1つ拾っていた。部屋に戻ったガブリエルは、ガラスの破片を取り出すと、それを飲み込もうとする(3枚目の写真、矢印は破片)。その時、偶然、弟が入ってきて、「何してるの? ガラスで遊ぶのは危険だよ」と言ったので、手を引っ込める。「ママには言うなよ」。「いいよ。その代わり、ピーター・パンを読んでよ」。
  
  
  

朗読の途中で画面が切り替わり、現在に。ガブリエルは、シマールの画廊を訪れる。彼女は、絵が好きだったので、今では個人で画廊を持つまでになっている。15年ぶりに会ったのに、彼女はすげない。絵に対し「あなた、興味あるの〔Ça vous intéresse〕?」と訊き、「20分だけよ」(1枚目の写真)。ガブリエルは、「僕を、『あなた』って呼ぶのか〔Vous me dites vous/“vous”は丁寧型/生徒の時は“tu”しか使っていない〕?」と冷やかすように訊く。シマールは、「なぜ、あなたを教えたのかしら? あのね、ガブリエル、私、立ち直るまでに何年もかかったのよ。これだけは言っておく。もし、今度同じようなことがあったら、私は見て見ぬふりをするわ」と素直に怒りをぶつける。これが、ガブリエルの記憶を呼び覚ます。教室では、シマール先生が、「ガブリエル、心ここにあらずじゃない。何でそうなの? 話してみない?」と親身になって訊くが、返事は「さあ」。「イジめられたの?」。「ううん」。「怯えてるの?」。「ううん」。「何か、先生に隠してるわね?」(2枚目の写真)「咎めてるんじゃないの… 信じてくれたら、助けてあげられる」。「何が言いたいの? 先生のこと分からないや。彼の言う通り、先生は『あら捜し屋』だ」(3枚目の写真)。「そんなこと誰が言ったの?」。「さあ。しつこく絡まないでよ」。「答えなさい」。「放っといてよ」。ガブリエルは聖書に誓っているので神父を裏切ることはできない。間に挟まれてのすげない態度だったが、シマールにはショックだった。
  
  
  

次のシーン、階段手すりからガブリエルが下をのぞき、「先生!」と声をかける(1枚目の写真)。下では、荷物を抱えたシマール先生が解雇されて出て行くところだった(2枚目の写真)。「ホントに出てくんですか?」。「そうよ」。「お願い、どこにも行かないで」。「できないわ。辞めさせられたのよ。知ってたんでしょ?」。もちろんガブリエルには初耳だ(3枚目の写真)。「さよなら、ガブリエル」。彼には黙って見送るしかない。画面は現在に。「あの日の『目』を思い出すと、何年も寝られなかったわ。『助けて』って叫んでたのに、見捨てて背を向けたから」。それを聞いたガブリエルは、自分の想いを正直に話す。「あなたが解雇されたのは僕のせいだ。僕は、助けようとしてくれた人をみんな裏切った。結局、僕はあいつと同じだったんだ〔Au final, je vaux pas mieux que lui〕」。「そんなこと言っちゃダメ。あいつは怪物よ。私たちみんなを壊したの。監獄にぶちこんでやって」(4枚目の写真)〔いきなり「監獄」という言葉が出てくるのは、少し変なのでは? 彼女は、①ドゥニの死に対する神父の態度が煮え切らなかった、②ガブリエルの変調に神父が絡んでいると確信していた、③解雇された、の3点しか把握していないはず/ガブリエルが3年間の性的虐待のことを話すチャンスもなかった〕
  
  
  
  

次のシーンでは、ガブリエルがドーブレス神父から、「お待たせして済まない。悪いが、短時間しか割いてあげられない」と言われるところから始まる。ガブリエルがこの神父(ペイラック司教の法律顧問)に会おうとしたのか、ペイラック司教に会おうとしたらこの神父が出てきたのかは分からない。「なぜ、ペイラック司教に会いたいのです?」(1枚目の写真)。ガブリエルの発言は非常にまどろっこしい。最初に出したのは、ドゥニの名前。そして、「ドゥニは何ヶ月もヴァンセ神父にレイプされていました」と、根拠のない自分だけの「想像」をぶつける。この突然の重大告発はドーブレスを驚かすが、ドゥニは15年も前に死亡し、証拠はどこにもないので、中傷としか受け取られない。そこで、ガブリエルは、「もし、他の犠牲者が現れたら、あなたは黙殺しますか?」と尋ねる。「我々は黙殺などしません。もし、あなたが、その犠牲者を説得して証言させられるなら、司教に面会できるようにしましょう」。ガブリエルは、「他にも、ヴァンセ神父に虐待を受けた子はいます。でも、恥ずかしくて口に出そうとしないのです」と言う。これに対しては、「その目撃者に、ここに来るように言いなさい。そしたら、行動を起こしましょう」と、一歩引いた返事。相手も、イライラしてきたのであろう。ここに至り、ようやくガブリエルは、自ら名乗り出る。「僕は、3年にわたり、ヴァンセ神父にレイプされました」(2枚目の写真)「最初は、僕が12の時でした。これまで黙ってきましたが、もう嫌です」。犠牲者本人からの言葉なので、これほど重い証言はない。そこで、ドーブレスは真剣な顔つきとなり、連絡先を訊く〔この神父は、最後まで「信念の人」を貫く〕
  
  

合唱団のコンサートの日。ガブリエルは聴衆の前で見事にソリストの役割をこなす(1・2枚目の写真)。聴衆の1人として聴いている母も心から満足し、息子を誇りに思う。歌が終わった後、ガブリエルは奥の部屋に閉じ籠もってしまい、顔を見せない。神父は、「ここで何してる。みんな待ってるぞ」と声をかけるが、「僕には、ふさわしくありません〔Je le mérite pas〕」と断る。「何を言い出す。素晴らしかったぞ。いいか、ガブリエル、謙虚も過ぎると罪だぞ〔Trop de modestie est un péché〕。今日は君を通して神が歌われた」。ガブリエルは待ち構える聴衆の前に姿を見せ(3枚目の写真)、賞賛を受ける。
  
  
  

その夜、母は寝室で、「素晴らしい夜だったわね。誇りに思うわ〔Je suis fière de toi〕」と褒める。そこに、神父が入って来る。「お邪魔かな?」。母は、身を引くように部屋から出て行く。2人だけになったガブリエルは不安そうだ(1枚目の写真)。神父:「私は、この週末パリに行く。一緒に来ないか?」。「エッフェル塔、見られる?」。「もちろん。じゃあ、OKだな?」。ガブリエルは嬉しそうに微笑み、「OK」と言って、神父と手をパチンと合わせる(2枚目の写真)。神父は、ガブリエルの顔をじっと見て、「愛してるよ。心から」と想いを述べる。そして、2人は手を握り合う(3枚目の写真)。ここまで来れば、もう「確信犯」だ。ガブリエルは、神父にさせられる行為を嫌っていたのかもしれないが、代替としての特別待遇に満足し、一緒にいることを自らに求めている。「あんたと『ぐる』じゃなかったかって思うんだ」という言葉は実にぴったりした表現だ。
  
  
  

ガブリエルがペイラック司教と会うシーン。長いので適宜カットする。司教は、ガブリエルに、「あなたは、何を期待されておられる?」と探りを入れる(1枚目の写真)。ガブリエルは、「12歳の少年とセックスするのは罪ではありませんか?」と直球を投げつける。司教は、「彼を刑務所に入れたいのかね?」と訊くと、如何にもキリスト教徒らしい方法で攻勢に出る。「イエスが話された最も美しい教えは、『許し』。我らが敵を許すこと。害をなした者への許しです」。これは、非常に狡猾なやり方だ。司教は、ガブリエルに、「復讐の蜜は、苦しんだ者を、より惨めにします。許しにのみ救いがあるのです」と言い、その場にヴァンセ神父を出頭させる。ヴァンセ神父は、もっぱら懺悔に走る。「君を見、歌うのを聴き、私は理性を失ってしまった。魔法にかけられたように。悪魔に取り憑かれたのだ。悪魔は私を誘惑し、私は屈服した。何をしているか分からなくなった。どうか許して欲しい」。これも、非常にずるい方策だ。すべては法律を超越し、信仰のレベルで不祥事を収めようとする策略だ。ガブリエルは、ここで、しぶとくドゥニの話を持ち出すが、ヴァンセ神父は「君以外には誰もいない〔Il n'y a jamais eu que toi〕」と、きっぱり否定する〔この神父には児童虐待の前歴はあるが、校長になってからは、恐らくガブリエルが唯一の相手だったのだろう。この後、ガブリエルはジュリアンの名を出すが、神父は再度否定するし、後でジュリアン本人と会った時も、そのような人物には見えなかった〕。ガブリエルは、ここで戦術を変え、ヴァンセ神父を罵る。「あんたは、僕の人生を破壊した。楽しみながら、汚らわしい気にさせた。何という恥辱。あんたが僕にどんな風に触り、どんなに恐ろしいことを一杯したか、今でも頭から離れない」。そう言うと、拳銃を取り出し、「明日までに、あんたが僕にした汚らわしいことの一覧を書いた告白書を渡さないと、不幸のどん底に突き落としてやる」と脅す(2枚目の写真)。しかし、ガブリエルが去った後、ペイラック司教は、「私は君を見捨てない」とヴァンセ神父に言う。「羊飼いは、自分の群れの羊は決して見捨てない」。こうしたカトリックの論理が、多くの醜聞を呼んできたのであろう。映画は、破綻した自己防衛の論理を、見事に描いてみせる。
  
  

ドーブレス神父からガブリエルに電話が入り、ペイラック司教がもう一度会いたいという。「ヴァンセ神父が自殺したのか?」。「いいや」。「告白文は書いたのか?」。「まだ」。「書いたら電話しろ」。「待ってくれ。他にも犠牲者がいると思うなら、来て欲しい」。ガブリエルは行くことに。しかし、それは単なる欺瞞だった。司教が見せたのは、ヴィダルなる人物に彼が出す手紙(1枚目の写真)。ヴィダルに、ヴァンセ神父を受け入れ、誘惑の及ばない静かな場所に移せと指示する内容だ。こうした処置をとった理由は、「彼を、彼自身から守るため」。ガブリエルは、「それじゃ、彼が犠牲者みたいだ」と批判すると、「こうすれば、全員が救われる」とうそぶく。「それで、自筆の告白は?」。ここから、司祭の本性が現れる。「私は、スキャンダルを避けたい」。そして、一種の脅迫が始まる。「醜聞は全員を傷付ける。そこには、あなたの家族や母上もおられる。あなたは、このことを母上に話しましたか?」。「いいや」。「新聞の一面にあなたの写真が載った時の母上の恥辱を考えてご覧なさい」。これは、あまりにもひどい。「この手紙は、今日発送します」と言い、署名までしてみせる。「後は、ドーブレス神父が処理します」。この対処法には、ドーブレス神父自身が疑問を抱いた。そして、夜間にこっそりペイラック司教の部屋に侵入し、ファイル棚からヴァンセ神父に関する書類を取り出す(2枚目の写真)。そこに入っていたのは、ペイラック司教とルデュック司教の間に交わされた手紙。ヴァンセ神父は最初、フランス語の教師だったが、児童虐待で告発・解職された後、ペイラックの司教区に移された。ペイラックは、そんな彼を聖パンクラス中学校の校長にした。ヴァンセ神父は定期的に精神科医の診療を受けるよう指示されたが1回しか行かなかった。ドーブレス神父のペイラック司教に対する怒りは、その書類をガブリエルに渡してしまうほどだった。当然、ガブリエルも怒り心頭。告発に踏み切ることを決意する。
  
  

ガブリエルは、弁護士になっているジュリアンの事務所を訪れる。突然の再会にジュリアンは相好を崩す。「誰だか分からなかった」。「元気かい?」。「仕事でへとへとさ。3ヶ月の赤ん坊もいるし」(1枚目の写真)。ガブリエルは、本題に入る。「ヴァンセ神父を覚えてる?」。「少しね。彼が困ってるのかい?」。「そうなんだ。非常にね」と言った後で、「彼は、僕を虐待した。それが言えるようになるまで10年以上かかった」と打ち明ける。ジュリアンは、「ヴァンセ神父が… 信じられない」と驚く〔この驚きは本物に見える⇒ジュリアンは、ヴァンセ神父の犠牲者ではない〕。「そう、信じられないだろ」。「それで、告発したのか?」。「まだだ」「まず、君に相談しようと思ったから」「許されないのは、奴が僕に 肉体的にしたことじゃなく、僕の頭に入り込み、僕も奴と同じほど罪があると信じさせたことだ」(2枚目の写真)。この後、先に紹介した言葉が入る、「僕は楽しんだ。そんな自分が厭わしかった」。その言葉とともに、場面は、少年時代最後のガブリエルのシーンへと移行する。
  
  

場所はパリ。神父とガブリエルがホテルに帰ってくる。「部屋の番号は覚えてるかい」。「108だよ」。ガブリエルの手には、エッフェル塔の入ったガラス球が握られている。鍵を渡されたガブリエルがドアを開け、仲良く一緒に入る。「疲れたかい?」。「ううん」。ガブリエルは、バスルームを覗き、あまりにきれいなので思わずニッコリする(1枚目の写真)。洗面台にきれいに並べてあった石鹸を手に取って調べていると、神父が入って来て肩を抱き、「一日で最高の時間だ」と言い、液体容器を手に取ると、「素敵なお風呂… 泡で一杯のお湯」と続ける(2枚目の写真)。神父はバスの湯を入れ始め、バブルバス用の液体を流し込み、バスタブを泡で一杯にする。それを見ているガブリエルは、本当に嬉しそうだ(3枚目の写真)。その後、2人は一緒にバスタブに入ったのだろうが、それを危惧するような表情は一切ない。これが、前節の「僕は楽しんだ」に当たるのだろう。
  
  
  

バスから出た2人は、バスローブに身を包み、仲良くベッドに寝転んでTVを見ている(1枚目の写真)。ガブリエルが、エッフェル塔のガラス球を逆さまにして、中のスノーフレイクが舞うのを楽しんでいると、神父もそれを背後から眺める(2枚目の写真、矢印はガラス球)。そこに、現在のガブリエルの解説が入る。「奴と僕は、カップルのようだった〔On formait presque un couple, lui et moi〕」。それを受けて、ジュリアンは「よく話せたな。勇気が要ったろう」と暖かく言うが、「僕にはこの事件は無理だ。同僚を紹介しよう。彼なら、こうした訴訟に慣れている」と、最適任者を紹介する〔せっかく勇気を出して訴えるのだから、是非とも勝たせたい〕。母のアパートに戻ったガブリエルは、あの時のガラス球が飾ってあるのを見つける。それを手に取って逆さにしてみると、当時のことが思い出される(3枚目の写真)。いたたまれなくなったガブリエルは、ベランダに出ると、ガラス球を床に叩きつけて割る。
  
  
  

音に驚いて、「何事?」と出てきた母を、ガブリエルは無理矢理座らせ、ヴァンセ神父について話し始める。「言いにくい話」とガブリエルが言ったので、母は「亡くなったの?」と尋ねる。「死んじゃいない」。「驚かさないで」。「ずっと悪いんだ」。「悪い?」。「もっと前に話すべきだったけど、母さんが敬慕してたから」。それだけ言うと、「僕はあいつを告訴する。裁判になる」と告げる。母には、何がなんだか分からない。「あいつが、なぜ僕の部屋にいつも来てたか、考えたことはなかった? 会話のためだと思ってた? 悪いけど、母さん、あいつはその時、僕にいっぱい悪いことしてたんだ」。母は、耐えられなくなったのか、立ち上がると、用意のできている夕食の席に向かう。そして、無言で食べ始める。そうすることで、頭を真っ白にしたかったのか? しかし、こんなことを知らされて、食べ物が よく喉を通るものだとも思う〔息子をそんな目に遭わせた、あるいは、見過したのは母親の責任でもある〕。それでも、ガブリエルは、後片付けをしている母に向かって、「母さんの責任じゃない。僕が悪い。打ち明ければよかったんだ〔C'est ma faute. J'aurais du te faire comprendre〕」と慰め(写真)、そのままアパートを出て行く。結局、母は一度も謝らなかった。ただ、息子が去った後に流す涙は、とどめなく深い後悔によるものであろう。
  

一方、ドーブレス神父はペイラック司教に会いに行く。そして、「あなたは、嘘を付かれた〔Vous m'avez menti〕」と非難する。そして、司教がヴァンセ神父の過去をすべて承知した上で、今回の対応を決めたことを、「すべて知っておられたのに、何も されなかった〔Vous saviez tout, mais vous n'avez rien fait〕」と無為無策を責める。それに対し、厚顔無恥な司祭は、「嘘を付いたのではない、守ったのだ〔Je ne vous ai pas menti. Je vous ai protégé〕。君が疑念や自責の念を抱かなくても済むように」と、自分の行為を正当化する。神父が、「あなたは、彼を子供たちの中で働かせた」と指摘すると、「ヴァンセ神父はセラピーを受け、私は完治したと考えた。二度目の機会を与えられる権利は、誰にでもある」と言った上で、逆に、資料を盗んだことを責める。ドーブレス神父は、司教がもう一度ガブリエルに会い、目をじっと見て、「申し訳ありませんでした。知っていたのに何もしませんでした〔Je vous demande pardon. Je savais et je n'ai rien fait〕」と謝ることを強く求める(写真)。司教は、「気は確かか、ドーブレス? スキャンダルになる。危機に瀕するのは教会の名誉だぞ〔Ç'est l'honneur de l'Eglise qui est en jeu〕」と、強く拒否する。ドーブレスが司教と訣別する時の言葉は、この映画の中の白眉だ。「沈黙では、我々を覆った恥は洗い流せない〔Le silence ne lavera pas la honte qui pèse sur nous〕」。
  

映画の最後は、裁判の判決が流れる中、被告となったヴァンセ神父とペイラック司教の姿が映される。1枚目の写真は、神父が現職の校長のまま、生徒たちに見られながら逮捕・連行されて行く様子(矢印は手錠)。「被告アンドレ・ヴァンセは有罪。校長という絶対権限下において、犯行時15歳以下の未成年だったガブリエル・ゴファンに対し、強制もしく突然に性的挿入をくり返した。本法廷は、陪審員の絶対多数により、被告アンドレ・ヴァンセに禁固15年を宣告する」。一方のペイラック司教。2枚目の写真は、以前と変わらずに聖務をこなしている姿。彼は「ヴァンセ神父の行動に対し常に沈黙することで未成年への性的虐待を防げなかった」ため有罪となるが、執行猶予付きの3ヶ月という軽い刑で済む。いわば、とかげのシッポ切りだ。こうした体質がなくならない限り、カトリック教会における少年への性的虐待は終わらないであろう。エンディング・タイトルの背景には、冒頭と同じように、ヨットで遊ぶガブリエルと息子の遠望が映される。ガブリアルは永年のくびきから解放され、これからは正常な人生が送れるであろうことを示唆しつつ。
  
  

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